梶原敏先生は,バンコク日本人学校に派遣されました。タイは仏教国で宗教が浸透し,国王賛歌の国だそうです。以前は教員にもタイ語の認定試験がありましたが,そちらの勉強が忙しくて,本来の教育に専念することができなくなる心配もあり,試験はなくなったそうです。日本人学校の中で世界2位の規模があり100人を越す教員をまとめる教務の仕事が大変だったけれど,良い経験になったということでした。
池上純治先生は,デュッセルドルフ日本人学校に派遣さ れました。ヨーロッパで最大の650人の児童生徒は,バス通学でなく,自家用車やバスや電車で通ってくるそうです。治安が良いことはこのことからも分かります。車でアウトバーンを走っていた時,ネーデルランドという表示があって,ディズニーランドのような遊園地があるのかなあと思っていたら,オランダまで来ていたということで,ヨーロッパの国境のないつ ながりを感じられたそうです。
岡田浩之先生は,マニラ日本人学校に派遣されました。タガログ語や英語を使って,主に母親がフィリピン人の子
ども達に,日本語を教えるクラスを担当し,苦労はあった けれども保護者からマイベストチョイスと言われたり,誕生日に花束をプレゼントされたりして,良い経験になった そうです。奥さんは,メイド2人と運転手のいる生活を経験できて良い思い出になったということでした。
梶田ひろみ先生は,台中日本人学校に派遣されました。 派遣2年目に16階のマンションで震度6の地震にあった時には,阪神大震災の岡山の震度4などと比べるべくもなく,死ぬかと思ったそうです。学校の校舎はつぶれ,集また教員は呆然とした中で任期半ばで帰国かと考えたそうです。しかし,それから2週間後市内の幼稚園を借りて学校が再開し,校長が涙ながらに団結を訴えみんな感動したそうです。先生自身も震災の次の日から見ず知らずの人の家にお世話になり,世界中からの義援金やメッセージと共に,人の善意という大きな財産を持ったということでした。
三井亘先生は,チューリッヒ日本人学校に派遣されました。他校と同じように,赴任時87名いた子ども達は27名に激減し,少人数での苦労があったようです。しかし,日本では経験しなかった教員同士の家族付き合いが楽しい思い出になったということでした。現地の教育制度は,留年がたくさんあり,知的な面や生活面で,担任が厳しい判断を下すということでした。もちろん,カウンセラーシステムが整っていて,保護 者ともしっかり話し合い,理解をしてもらうということでした。 | |